わたしがときいたのもしとおのずからだいつかわたしたちもおんしふりかえりなにかはじめたのさくらまいふるふいまらくさのためしはかになりえがりふじんをもちだしたわかついだらかずのおとしものたいきとかしたわ(99文字)
「私が?」と訊いたのも師と。「自ずからだ。」「いつか私たちも?」恩師振り返り、「何か始めたの?」桜舞い降る不意、間・落差のため詩は歌になり、画が理不尽を持ち出したわ。担いだら、数の落としもの大気と化したわ。
前半がものすごいだけに、後半がこんなふうにまとまってしまったのは残念だ。しかし、今日の出来事が織り込まれているから、一緒にいた友人はこの後半部分を見て、なにかを感じるだろう。
久々に長めの回文をつくったが、腕はそれほど落ちていない。なによりも喜ばしい。
もしこの回文を読んでいる人がいたら教えたいのだけれど、とにかく落ち着いてゆっくり読んで欲しい。回文のルール上、こぼれ落ちざるをえなかったものがたくさんあるのだから。読者の想像によって、回文は本当に完成を見るのであり、回文の制作者は読者に想像されることを願う。そして引き出された読者の関与は、その結果如何に関わらず、制作者にとって無上の喜びだ。
2014.3.8追記
作者が、作品の価値を読み取って欲しいとか言うのはまずいよなあ。何様だ。