湖畔の左へ

生活するために書くブログ

においは蘇る。冬震えが身よ。「はい!おに!」

あたたかいと、鼻が利くのだろうか。昨日、今日と町中からさまざまなにおいがした。はなやかではないし、さわやかでもない。しかし決して不快なわけでもない。みな一様にやわらかく、ほっとするようななつかしさがある。小さいときのことはあんまり覚えていないが、今日のにおいに誘われてか記憶が一つ浮かんできた。

僕は小学生の頃小さな学習塾に通っていた。その塾はなぜか幼稚園の敷地内を間借りしていて、塾が終わった後は塾生が集まって園内の遊具で遊ぶことが多かった。梯子やら階段やら滑り台やら上り棒やらが複雑に組み合わさった遊具があって、その中と周辺だけに範囲を限定した鬼ごっこを猛烈にやった。勉強している時間よりも鬼ごっこの時間の方が長かったし、なによりその密度が濃かった。誰もが真剣だった。鬼の手を逃れるため、日々新たな逃走ルートが研究された。滑り台の横から飛び降りてみたり、床が目の粗いネットになった通路は下からのタッチを恐れて手すりの上を移動したり。上り棒は素早く降りられるが、遊具の構造上、下でもたつくことになり、場合によっては危険だ。幼稚園の出口に近い方の滑り台は勢いよくいかないと、小学生の脚力では上りきれない。危機が近づく前に対処して、出来る限り体力を温存・回復し、鬼との戦いに備えねばならない。平行する二本の通路の間は頑張れば行き来できる。網梯子は焦っているときほど足をとられる。鬼にマークされたら
他の人を巻き込む。

ひたすら上り降りと追跡・逃走を繰り返し、暗くなるころにはみな疲れと汗と地面の砂利や砂埃でコーティングされた。どんな子と遊んだかは忘れてしまったのに、そのときかいだにおいはよく覚えている。ほこりっぽいとか汗くさいとかだけじゃなかった。だるさや日が沈んでいくことにもにおいを感じた。あと、「もうおしまいか」というにおいも。

それらは場合によっては不愉快に思うことがあるはずだ。しかし僕はそんなにおいを思い出す度になつかしさに駆られるし、そうなることは心地よいのである。快適だった昼間は日が傾くに連れて次第に寒くなり、においは薄れ、記憶も立ち消えた。春よ、早くかえってこい。