湖畔の左へ

生活するために書くブログ

ただ鳴くもの、ただ歩くもの

今週のお題「秋の歌」

毎日の通勤で通る道の際に雑草が生えていて、側を歩く度に、こんな草なんか抜き去ってしまえばすっきりしていいのになあと思っていたのだが、ある秋の晩、その道を歩いていたとき、鈴虫のような虫の声が、明らかに雑草の中から聞こえてきた。

自分の思う通り、雑草をすべて抜き去っていれば、このように虫が居着いて鳴くこともなかったのだと、少し恥じ入るような気持ちがして、また、そんな自分の気持ちとはお構い無しに鳴く虫の有り様が、身に迫るように感じられた。

ああこの虫は何のために鳴くか。何のためでもない。 生殖に有利だからとか、そんな次元では片付けられない、私と虫がたまたまに近くあるという状況、そしてその状況における虫と私は、ただ鳴くもの、ただ歩くもの同士として、彗星同士が接近するように、異なる物事の布置を一瞬間演じたように思えた。

しかも、ただ歩いていたものと、ただ鳴いていたものがある時間ある場所を共有していたと、こうして思い出すことができ、思い出すときにしか、あるものとものの布置は現れないのだった。もともとをたどれば、歩いていたものでしかなく、また、鳴いていたものでしかなかったし、ひいては、何もなかったのだった。ただ今は、こうして後から意味付けようとしているだけのことなのだった。